2022-11-16 (Wed)
14:17
✎
議論ができない日本人
日本では集団の意思に従いがちになり、議論が行われることが基本的に少ないです。
日本人の多くが議論が下手であり、または議論を避けるようになっているのではないでしょうか。
海外では日本とは正反対で議論は、むしろコミュニケーションの基盤となっているとも言えます。
日本人からすれば顔を合わせれば、毎日議論ばかりしている国に見えるかもしれません。
海外での議論は、日本の議論とは全く違います。
例えば、あるテーマXに対してAという主張、Bという主張を持っている人がいるとします。
フランスであれば、一方が「Xについて話をしたい。私はAだと考える。理由は~だけど、あなたはどう思う?」
と語り始めたらもう一方は「私はあなたと考えが違う。私はBだと考える。その理由は~で・・・」
と答えます。
そこからお互いがより議論を掘り下げていって、この部分についてはどう思う?とか、この部分は賛成だけどこの部分は理由になっていないのではないか?あるいは、この部分までお互い共有できる、など言うように発展していきます。
人と人が会う度、大きなテーマが世間の話題になる度に毎日このような調子で意見を交わしています。
これは日本人同士の議論とは決定的な違いがあるのです。
同じようにあるテーマに対してAという主張、Bという主張を持っている人がいるとすると日本ではこんな感じに展開していくのではないでしょうか。
「これについてあなたはAだと主張をしているが、その考え方はいかがなものか」
「いや、Bと主張をしているあなたこそおかしいだろ」
「なんだその態度は!生意気な。人の顔を潰す気か」
「対して勉強もしてないくせいに何を言っているのか。どちらもみっともないよ」
これはこれで端から見ていると面白いかもしれません。
ですが、日本の議論は何だか様式美的で深堀りせずに意見を争わせ、最終的に本質の探究ではなくて、ケンカのコントのようになっていませんか。
これはエンターテイメントとしては成立をするのかもしれませんが、本当に議論と言えるのでしょうか。
そして、日本では主張と人格が分離されずに容易に人格攻撃へと繋がってしまいます。
これは日本を象徴する特徴なのかもしれません。
フランスでは議論のできる人が一人前であり、議論ができない人は未成熟でありバカにされると言えます。
多様性と議論が当たり前だった欧州では、意見は違って当たり前であり当然のことと捉えられています。
意見の違いがあれ、その理由や背景を議論しながら理解を深めていく社会です。
一方、日本では同じが当たり前であり違っているものがあれば排除しようとする力が働く社会です。
まさに出る杭は打たれるです。
日本では、言いたいことを我慢しなくてはいけない社会と言えます。
思い当たる節がある人は多いのではないでしょうか。
これらのどちらが良いか、悪いかの話ではありませんが、環境や地理、社会条件などによって良し悪しは変わるでしょう。
ただ、人それぞれ考え方が違うのは当たり前であるということは理解をしておくことが大事かと思います。
- 関連記事
-
- 自分と違うものをバカと決めつける社会
- 普段と違うことを体験することが脳の老化を防ぐ
- 自然災害と閉鎖的環境が社会性を高めた
- 誰でもの正義中毒になってしまう可能性がある
- あえて不安定で過酷な環境に身を置く
- 脳の成人年齢は30歳前後、どうキープしていくかが重要
- バイアスは脳の手抜き、一元的な処理をしている
- 正義とは集団の維持であり、それこそが最優先の目的になっている
- 人間の脳は賢くなり過ぎないようになっているのかもしれない
- 誰かを叩けば叩くほど気持ちがよくなる正義中毒
- 社会心理学「ステレオタイプ脅威」
- 経験で脳は進化していく、考え方などは変えることができる
- 日本人が自己主張ができないのは地政学的な理由
- 正義と同調圧力の関係
- 日本は優秀な愚かな国かもしれない
スポンサーリンク
↻2022-11-16