2022-10-25 (Tue)
11:28
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集団の目的が優先される日本
日本では個人主義的な性質が強い集団よりも集団主義的な要素が強い集団の方が生き延びるのに有利だったと言えます。
これは、日本の災害の多さという地理的要因が大きく影響をしているのではないでしょうか。
東日本大震災や熊本地震など、近年では水害もあります。
日本はどんなに防災を発展させても現在の状態の地球上のこの位置にある限り、自然災害から逃げることはできません。
防災にコストをかけて、意識をいくら高めても起きてしまうのはどうしようもなく、誰かのせいにもできません。
そして、災害からの復興は助け合いながら、みんなで力を合わせるしかありません。
このような状況下では、個人の意志よりも集団の目的を最優先する人が重要視されるのは自然なことでしょう。
反対に集団の協力行動を拒んだり、集団の了解事項を裏切ったりする人は、みんなから非難と攻撃の対象になります。
それが悪い、良いという議論ではなく、私たちは抗うことが難しい理由によって集団的要素が強くならざるを得ない状況に置かれていると言えるのです。
もう一つ日本が集団主義が強い理由として考えておくこともあります。
統計上の事実として、日本では江戸時代中盤以降から明治期に産業構造が変わるまで、人口がほとんど増えていません。
3000万人を超えたあたりで頭落ちになり、飢饉が起きれば100万人近い人が短期的に亡くなることもありました。
30人に1人が亡くなるというのは計算上では、太平洋戦争と同じレベルの人的損害になります。
当時日本にやって来た外国人の見聞録によると、耕作できるところは全て人の手が入って海外では効率が悪くて作らないような段々畑もたくさん見られたということです。
これから推察できることは、鎖国だった江戸時代、国土をギリギリまで食糧生産の為に使っても最大限維持できる人口が3000万人レベルであり、自然災害が起きるとあっという間に100万人単位の命が亡くなってしまう状況だったのではないでしょうか。
お米の一粒すら貴重な国土では、集団で食糧生産を維持していくしかなく、つまり一人では生きてはいけないと言うことでもあります。
このような状況では、困難を乗り切るために集団主義が最適であり、集団の考えに背くことが社会全体の深刻なことを招きかねないと言う思考を誰もが無意識に持っているのかもしれません。
日本人はよそ者を信用しない
集団主義の強い日本では、社会性が高いと言え、それが日本人の美徳と考えることもできます。
ですが、社会学においては少し異なる見方もされます。
社会学には、一般的信頼という尺度があります。
簡単に言えば、見ず知らずの人に対してどれだけ親切にできるか、です。
社会心理学者の山岸俊男氏によれば、実はこの値は日本では低いそうです。
つまり、よそ者は信用しないということです。
これは、仲間内はやさしく、何か問題が起きればよそ者のせいにする傾向が強いのです。
そして、意外かもしれませんが、北欧ではこの値が高くなっています。
日本では、異質なものを冷遇して、集団内に置いておけなくなった人間を排除する、あるいは他の集団に対する攻撃性が出てしまいやすい傾向が強いです。
日本人の特性として、このことは知っておく必要があるでしょう。
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