2022-10-20 (Thu)
10:36
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日本人は優秀かもしれないけど愚か
日本人は、他人との摩擦を恐れるあまりに自分の意見を控え集団の和を乱すことを避けようとする傾向がとても強い人達と言えます。
これは、悪く言えば愚か者の国と言うことにもなります。
日本では、集団の抱えている様々な不都合や問題点に気が付いて周りの空気を読まずに指摘してしまう人が非難されることが多々あります。
そのことが理不尽であることに抗議をして声を上げたなら、さらに集団圧力がかかり、最終的に排除されてしまいます。
コロナ騒動でそれは顕著に出たのではないでしょうか。
現在の日本に代表されるような安定した社会で優秀と評価される人は、言い換えれば「何も考えずにいられる人」かもしれまえん。
そのルールの意味は関係がなく、集団のルールを守り、前例を踏襲して集団の上にいる人の教えや命令に忠実に従う従順な人が優秀とされる傾向があります。
これは、政府や企業に限らずに大学でさえも例外ではありません。
日本において東京大学は世界に通用する大学と思われているでしょう。
実際に学位取得者によるノーベル賞受賞者は国内で最も多くなっています。
ですが、東大も京大も他の国立大学も「独創的な研究ができているのか」と問われた際に自信を持って肯定できる人は限られているのではないでしょうか。
また、個々の事情もあると思いますが、最先端の研究をしたいという前向きな理由で海外に出ていく人もいる一方で、息の詰まる日本の現状から抜け出した、逃げ出したい、と言う人も多くいることでしょう。
本当に優秀な研究者、特に女性で優秀な研究者は、海外に行ったらそのまま日本に戻らない傾向があるようです。
日本国内では、独創的で自由な研究は大規模になればなるほどやりにくいのです。
その反面、日本人研究者は、イグノーベル賞(人を笑わせ、考えさせる研究に対して贈られるノーベル賞のパロディ)の常連です。
これはお金がかからずに小規模でできる研究であれば、結果を出しやすいということを示しているのかもしれません。
チーム内で摩擦を回避する為に、イノベーティブな発想力のある人がアイデアを大きな声で主張ができずに、その才能を開花させることができないでいるとしたら、これは国家の大きな損失になります。
日本の研究機関では、例えば研究室という小さな組織の中の秩序を守ることの方が独創的な研究を行って業績を上げることよりも重要視される傾向が海外に比べて強いと思います。
日本ではスタンドプレーは歓迎されない傾向が強いのです。
教授やリーダーの配下として尽くした研究者が優遇されて、将来のポストに恵まれます。
教授やリーダーよりも優れた研究を行えるような突出した研究者は、業績を上げても人間関係で問題を抱えてしまうことが多くなるのではないでしょうか。
グローバルスタンダードからすると、日本人は優秀なのに愚かなことをやめない愚かな国と思われているかもしれまえん。
だからと言って日本はダメだと安易に決めつけてしまうのは、正義の中毒者と同じ思考パターンと言えます。
日本では、これまでこのやり方が生き残るためには必要な適応だった、このやり方で行動をした方が生き延びやすく、子孫を残すのに有利だったのでしょう。
また、日本以外の土地でも状況によっては、日本のやり方の方が有利になるケースも考えられます。
では、なぜ日本が現在のような社会性が高く、社会や組織の維持の為なら自分の考えを呑み込むことがよしとされる文化になったのか、考えてみるといいのではないでしょうか。
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