2022-10-15 (Sat)
09:00
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多様性を狭めた集団は滅亡する
正義の中毒になってしまった人たちは、一見するとそれぞれ独自の理論、独自の正義を持っているように見えるかもしれません。
ですが、実際は違います。
自分が他の誰かのターゲットにされることを恐れているので多数はに流れている人が多いと言えます。
例えば、Aを「不謹慎だ」と叩く議論になってしまうと、自分が違う意見を持っていたとしても言い出しにくくなってしまうでしょう。
これは同調圧力の問題も絡んでくる現象になりますが、これでは多様性を狭めてしまいます。
特に昨今では全体主義の傾向が強くなっていますが、社会全体でこういう方向に踏み出すことは、長期的に見ると非常に危険です。
多様性を狭めた集団は短期的に生産性を向上させ出生率も上昇して成功を収めるのですが、進化の歴史の上では滅亡に向かってしまいます。
言い換えると種としての健全な繁栄の為には、多少のコストと感じたとしてもある程度の多様性を担保しておかないといけないと言うことです。
あくまで可能性の話になりますが、今の環境や条件が急激に変化して、それまで「正しい」とされていたことの中央値が大きくズレてしまった場合どうなるでしょうか。
これまで正しいとされていたことが変わるので、今までの環境に適応していた人たちが生きづらくなります。
その代わりにそれまで、外れ値とされてきた、言あゆる変わり者とされていた人たちが、適応できるようになることが起こり得ます。
なので種を継続させていくには、ある程度の多様性を確保しておいた方が安全と言えるのです。
これは企業に例えると分かりやすいのではないでしょうか。
強引かつ話術の巧みな営業担当者が好成績を上げている企業では、そうした人材ばかりを集めるようになります。
しかしある日突然、急に規制が強くなり従来の営業方法が禁止になってしまったらどうでしょうか。
ほとんどの営業担当者が使い物にならなくなってしまうでしょう。
その時に、例え少数でも温厚かつロジカルで顧客本位な営業担当者を雇っていれば、何とか営業活動をお継続することができます。
全員が同じタイプの強引な営業しかいない場合は、非常に厳しい状況になるのではないでしょうか。
正義中毒は人間の宿命とも言える
自分と違うものをなかなか理解できずにお互い「許せない」と感じてしまうのは人間である以上どうしようもないこととも言えます。
ただ他人の言動に強い拒否感を抱いてしまったとしても人間の脳の仕組みを理解しておけば楽な気持ちで見守れるようになるのではないでしょうか。
比較例としてウサギを考えてみましょう。
ウサギの大脳は、正義中毒を起こすには小さ過ぎで、人間のように正邪を基準にした行動は取りません。
なぜ生まれたのか、などの問題で悩むことはありませんし、死ぬことも恐らく意識はしていないでしょう。
ひたすら草を食べ、子供を作って育てて一生を終える、これを無心に行っていると言えます。
人間は大脳を発達させてしまったばかりにウサギと同じ行動をする脳の周りに、思考を司る大脳新皮質ができました。
大脳新皮質が人間の繁栄と生存をもたらしたことは間違いないでしょう。
人間は、生き延びて種として繁栄していくことと引き換えに、生きている意味をわざわざ考えないといけなくなってしまったのです。
知性があるからこそ愚かさがあり、愚かさのない知性は存在し得ないという裏表の関係があると言えるのではないでしょうか。
インターネットとSNSの登場は、人間の知性と愚かさとの新しい捉え方を呈示したと言えます。
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